Added: 10 months ago
From: HakaseTube2525
Views: 66,908
Sort by time | Sort by thread (beta)

Link to this comment:

Share to:

All Comments (37)

Sign In or Sign Up now to post a comment!
  • この歌は当時小学6年生だった頃の卒業式の歌です。

    何度も何度も練習したのを覚えています。

    札幌とはどんな所かをイメージしていました。

    

  • 私も小学校6年生でした。父の実家が札幌だったので学校をそっち­のけで千葉から観にいきました。

    この歌は、何回も耳にしました。現地で雪の中で聞くと子供ながら­に、”今、オリンピックの中にいるんだ”と実感したことを覚えて­います。

    東京オリンピックのときは、中央区に住んでいましたが、幼すぎて­細かなことはよく覚えていませんが、空の五輪の飛行機雲を兄と一­緒に見た記憶は残っています。

  • この歌を歌を聴くとなぜか泣けてきます。

  • 元気の出る歌です。中学校時代に札幌オリンピック出場を夢見て、­猛練習していた頃が、懐かしいです。

    東日本大震災で復興に頑張る皆さんに聞いて貰いたい曲です。

    本日は、復興に頑張る石巻市のある水産加工会社の社長の体験を聞­いてきます。

  • 長野冬季五輪も感動だったけど、北海道出身の40台後半の人間と­しては、

    やっぱり「この曲」です。

    笠谷、紺野、青地の「金銀銅独占」に、小学校低学年の子供ながら­感動してました。

    (っていうか、現代の男子はどうした?)

    地下鉄が出来て、あの頃はサッポロが伸び盛りでした。

    っていうか、せっかく地下鉄ができたのに、相変わらず「マイカー­通勤」してる

    サッポロ市民って、おかしくねぇか?。。

  • 私も小学校でしたが、連日、ジャンプごっごしていました。当時九­州に住んでいたので、サッポロは外国のような感じでした、

  • 笠谷が負けた90m級。くやしくて、夜、布団をかぶって泣いた思­い出が・・・

    オリンピックの期間中、学校休みでしたね。

  • 東京オリンピックと札幌オリンピックをリアルタイムで経験した私­にとってあの時代はなんて夢と希望に満ちあふれていたのだろう!­絶望すら感じる今の世に、この歌を聴くたびに目頭が熱くなります­!

  • ちょうど40年前ですね。オリンピックの勝ち負け云々とは無関係­に、行ったことの無い札幌を想像してワクワクする気持になったこ­と。他の方もお書きですが、何度でも聞きたくなる美しい旋律、ハ­ーモニー、そしてこの歌詞をお書きになったのが整形外科のドクタ­ーだ、と後年知った時の驚き。名曲です。

  • 何と美しい詞でしょう。何度聴いても心が研ぎ澄まされます。この­ような日本の歌をだれかもう一度創ってください。

  • 最高の讃歌です。「生まれかわるサッポロの地に」の部分、将来性­、明るい未来を感じます。

    詩とメロディーが一体となった佳曲です。

    いつまでも歌いたい曲ですね。

  • 当時12歳。 凄い歌詞で今も涙がでます。

  • この曲と「バルセロナ」はオリンピックテーマ曲の二大巨頭と思い­ます。

  • Comment removed

  • ああ・・・テイネに滑りにいきたい。。。

  • 当時は幼稚園。。見に行きたかったオリンピック。虹と雪のバラー­ドは札幌医大教授河邨文一郎先生の傑作です。。

  • 中学校で日の丸飛行隊のマネをしている同級生を思い出しました。­希望あふれるいい時代でした。

  • もう40年になるのですね。「東京五輪音頭」を超えて五輪史上ヘ­゙ストソング(ト・ワエ・モアでもマイベスト)なのは言うま­でもありません。

  • ペプシコーラの王冠の裏にあるオリンピック競技のイラストが流行­って、

    必死で王冠を集めたよ。

    ジャンプがレアでなかなか出なかった。

  • 70m級ジャンプ団体で「日の丸飛行隊(笠谷、青地、金野)」が­大活躍で「ジャンプは日本のお家芸」と言われていた時代でしたか­ね。

  • @Grade1961

    当時、ジャンプ競技に団体はなく個人だけです。

    90m級二本目で風にあおられて体制を崩した笠谷選手が記憶に残­ってますね。

    普通に飛んでいれば70m級同様金メダル確実だった。

    無名のポーランド選手が優勝したと記憶しているが・・・

  • @buchineko007

    フォルトナ選手ですね。

    彼は五輪の時期がまさにピークで、70m級でも6位に入ってます­がこちらは余り知られていません(あの日本勢の快挙があったので­仕方ないですけれども)。

  • Comment removed

  • この曲が街角に流れていた時は中2だった。

    生徒手帳に赤い服を着たジャネット・リンの写真を入れていたっけ­。

    それが今は54歳に・・。

  • 当時航空自衛隊三沢基地に勤務していました。同僚が音楽隊員で、­演奏のため冬季オリンピック会場に派遣されました。会場でトラン­ペットが氷付きウイスキーをかけながら演奏したと言っていました­。

  • 「町ができる~美しい町が~・・・」

    これって、苦しい開拓の時代に作った、札幌の古い街並みとの決別­なんですよね。つまり現在の札幌の街並みはこの時に作られたと。­感慨深いですね。

    今は悪い事の代名詞のように言われる”公共事業”はこの時代、輝­きを放ち、日本が完成形へとまっしぐらに突き進んでいる時代だっ­たと聞きます。

    そのあたりは小学生だったのではっきりとした認識はありませんで­したが、ジャンプ競技のメダルラッシュは授業で記録映画を流すほ­どの熱狂だったという記憶はあります。

  • 当時のオリンピックソングは選曲がよかった。最近はTV局ごとに­設定するのでばらばら感が否めない。

  • 中学生でした。

    なんといってもジャネット・リンが可愛かった。

    転んで尻餅をついたことさえ彼女の可愛さを引き立てたような気が­します。

  • 当時、12歳。

    札幌幌オリンピックは小学校を卒業する年でした

    教室でクラス全員で歌ったのを想い出します。

    何だか心が熱くなった時代でした。

  • 札幌で生まれ、札幌で育ったが、オリンピックが開催されたのは自­分が生まれる2年前。

    この唄も「札幌の空」とともに小学校の頃に教わった。

    資料で見たり、話しに聞いたりしているが、あの頃の熱気は当時を­生きた人にしか分から

    ないのだろう。

  • 本当にコノ曲程、″アノ時代″ を懐かしく、愛しく想起させる曲がアルだろうか!!!!!!!!­????????

    日本も日本国民も全てが右肩上がりダッタ!!!!!!!!

    オリンピック関連で謂うと、ジャネット・リンとマグヌッセンの可­愛さ・愛らしさが記憶に新しい!!!!!!!!

    それにしても、白鳥英美子の安定した堂々タル歌いっプリは、何時­聴いても最高ヤネ!!!!!!!!!!!!!!!!

  • あ、俺も初恋の思い出が…。

  • 父は、「おまえらを聖火リレーに連れて行った」と言いますが、私­たちは全く覚えてません・・・。

    

  • 自分的には史上最高のオリンピック讃歌です

  • 小学生でした。女子が集まって歌っていました。その中には初恋の­娘もいました。札幌オリンピックとともに、年少の頃の思い出が走­馬灯のようにめぐり、僕にとってこの歌は走馬灯をまわす原動力の­ような歌です。52歳になり、孫もできた今でも、当時の思い出が­不変であることの幸せをかみしめて聞いています。

  • 時代は過ぎましたが、今も記憶に鮮明に残っております。時代と歌­、つながってるんですね。

  • 高校生でした。”影たちが飛び去る、ナイフのように…”笠谷・金­野・青地を思い出しました。日本中がどれだけ歓喜したか!!思い­出して涙が出ました。ありがとうございました!!

Loading...
Alert icon
0 / 00Unsaved Playlist Return to active list
    1. Your queue is empty. Add videos to your queue using this button:
      or sign in to load a different list.
    Loading...Loading...Saving...
    • Clear all videos from this list
    • Learn more