>ゆんで(左手=弓もつ手?)に たずな(手綱)・・・と詠いたい。
>左手に「生首」は・・鹿児島県人でなくとも、ちょいと敬遠したいような・・・。
このコメントには、パーソナルメッセージでのクレーム?異議異論?もあったので・・・以下、追記をお許しください。
戦時下のむごい情景が現実にあったとしたら、何らかの形で(そのようなことがあったことを)遺す、語り継ぐことも後世に生きるものたちの使命?なのかも知れませんね。
=歴史(事実)から学び、二度とこのようなことが起こらないようにするということでしょうか。
自分達に都合の悪い、“歴史的事実”が、(時の程度の悪い?権力者たちの横暴などで)隠され、捻じ曲げられて記録が捏造されることの罪ぶかいこと・・・。
説話・口伝:語り継がれてきていることを深読みすることの重大さは、検めて思うことでした。
それにしても、お座敷歌やコノ動画のような舞踏など・・・
いかが なものだろうか・・・。
taktok9 6 months ago
@SHIBAFUSA様 返信ありがとうございました、地域の方々それぞれの思い入れがある唄だと思います。「正調 田原坂」の旋律が知られると良いですね。
ありがとうございました。
0klz 6 months ago
植木町民謡田原坂保存会で、正調が以下のように歌われていたのに、いろいろな意味でホッとしました(笑)
0klzさんのところでコメントしましたが・・・
♪ めて(右手)に血刀 ゆんで(左手=弓もつ手?)に たずな(手綱)・・・と、鹿児島では、(父親が)歌っていたと、家内は申しております。ちなみに、昭和初年生まれです。
この旋律がもっと知られると良いですね。
「正調 田原坂」がUPされていて、[天吹]で吹いていた旧節がそんなに違っていなかったのに安堵(?!)しました。
>この旋律がもっと知られると良いですね。
そうですね、好いメロディーですものね。書生節の「田原坂」もよいですね。
しかし、左手に「生首」は・・鹿児島県人でなくとも、ちょいと敬遠したいような・・・。
ゆんで(左手=弓もつ手?)に たずな(手綱)・・・と詠いたい(笑)。
@SHIBAFUSA様、有り難うございました。
@SHIBAFUSA様 正調田原坂聴かせていただきました。私のUPしているニットーレコードの「熊本 留 吉」姐さんの曲調とほぼ同じ調べでしたが歌詞が違っております、特に二番の「右手に血刀左手に手綱」の個所が「右手に血刀左手に生首」と「留 吉」姐さんは唄っております。少なくともこのレコードが発売された昭和05年までは「右手に血刀左手に生首」と唄われていたわけですが、何時頃から変更されたのか、ご存知の範囲でお知らせ頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。 0klz
@0klz 様
仰るとおり元歌は「生首」だったそうですが、もともとこの馬上の美少年像がラストサムライたちの想いを込めた創作であり、銃器による近代戦だった西南戦争にはありえない時代遅れのイメージだとの批判があったことや、近代国家を目指す日本にとって諸外国に野蛮な国というイメージを与えないために変えられたという説もあります。しかし、この民謡が普及したのはお座敷唄として酒席で歌われるようになってからであり、そんな席で「生首」などとは歌いにくかったというのが本当のところかもしれません。いずれにせよ、明治時代の終わり頃には一般的に「手綱」と歌われていたようです。ちなみに田原坂には鹿児島節と熊本節とがありますが、熊本節は田原坂周辺で歌われていたわけではなく、あくまでもお座敷唄として普及したものです。
SHIBAFUSA 6 months ago
>ゆんで(左手=弓もつ手?)に たずな(手綱)・・・と詠いたい。
>左手に「生首」は・・鹿児島県人でなくとも、ちょいと敬遠したいような・・・。
このコメントには、パーソナルメッセージでのクレーム?異議異論?もあったので・・・以下、追記をお許しください。
戦時下のむごい情景が現実にあったとしたら、何らかの形で(そのようなことがあったことを)遺す、語り継ぐことも後世に生きるものたちの使命?なのかも知れませんね。
=歴史(事実)から学び、二度とこのようなことが起こらないようにするということでしょうか。
自分達に都合の悪い、“歴史的事実”が、(時の程度の悪い?権力者たちの横暴などで)隠され、捻じ曲げられて記録が捏造されることの罪ぶかいこと・・・。
説話・口伝:語り継がれてきていることを深読みすることの重大さは、検めて思うことでした。
それにしても、お座敷歌やコノ動画のような舞踏など・・・
いかが なものだろうか・・・。
taktok9 6 months ago
@SHIBAFUSA様 返信ありがとうございました、地域の方々それぞれの思い入れがある唄だと思います。「正調 田原坂」の旋律が知られると良いですね。
ありがとうございました。
0klz 6 months ago
植木町民謡田原坂保存会で、正調が以下のように歌われていたのに、いろいろな意味でホッとしました(笑)
0klzさんのところでコメントしましたが・・・
♪ めて(右手)に血刀 ゆんで(左手=弓もつ手?)に たずな(手綱)・・・と、鹿児島では、(父親が)歌っていたと、家内は申しております。ちなみに、昭和初年生まれです。
この旋律がもっと知られると良いですね。
「正調 田原坂」がUPされていて、[天吹]で吹いていた旧節がそんなに違っていなかったのに安堵(?!)しました。
>この旋律がもっと知られると良いですね。
そうですね、好いメロディーですものね。書生節の「田原坂」もよいですね。
しかし、左手に「生首」は・・鹿児島県人でなくとも、ちょいと敬遠したいような・・・。
ゆんで(左手=弓もつ手?)に たずな(手綱)・・・と詠いたい(笑)。
@SHIBAFUSA様、有り難うございました。
taktok9 6 months ago
@SHIBAFUSA様 正調田原坂聴かせていただきました。私のUPしているニットーレコードの「熊本 留 吉」姐さんの曲調とほぼ同じ調べでしたが歌詞が違っております、特に二番の「右手に血刀左手に手綱」の個所が「右手に血刀左手に生首」と「留 吉」姐さんは唄っております。少なくともこのレコードが発売された昭和05年までは「右手に血刀左手に生首」と唄われていたわけですが、何時頃から変更されたのか、ご存知の範囲でお知らせ頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。 0klz
0klz 6 months ago
@0klz 様
仰るとおり元歌は「生首」だったそうですが、もともとこの馬上の美少年像がラストサムライたちの想いを込めた創作であり、銃器による近代戦だった西南戦争にはありえない時代遅れのイメージだとの批判があったことや、近代国家を目指す日本にとって諸外国に野蛮な国というイメージを与えないために変えられたという説もあります。しかし、この民謡が普及したのはお座敷唄として酒席で歌われるようになってからであり、そんな席で「生首」などとは歌いにくかったというのが本当のところかもしれません。いずれにせよ、明治時代の終わり頃には一般的に「手綱」と歌われていたようです。ちなみに田原坂には鹿児島節と熊本節とがありますが、熊本節は田原坂周辺で歌われていたわけではなく、あくまでもお座敷唄として普及したものです。
SHIBAFUSA 6 months ago