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KAZUYA19600914 1 month ago
これは今もなお日本の共産党員や民主党員が崇拝するレーニンの実態。
nyankichi1 5 months ago
@nyankichi1 あんたロシア革命史について研究したことがあるの?
kazuonagu 2 weeks ago
悲劇の本質は、ロシア帝政の農奴制度の中にある。これが全ての時代の変化を遅らせ、人間を全ての足かせからの解放を阻害している。革命を悲劇化させた根本がここにある。
victoriasiemple 6 months ago
第2次大戦で召集された兵士の大多数や都市部の工業労働者は、農村出身者が多数だった。彼らは戦争中に厭戦感から武装したまま革命化し、帰国後兵士ソビエトを組織して労働者ソビエトとともに、レーニン率いるボリシェビキの指導下にソビエト(評議会)からメンシェビキや右派エスエルやケレンスキーのトルドビキらの主張を言論の力で粉砕し、革命化したソビエト政権がロシアを先導した。
革命の後退が懸念されるところからケレンスキー政権は1917年3月の2月革命時からの公約であった憲法制定議会を引き延ばし続けたが、11月の10月革命で政権奪取したボリシェビキは、公約を守り、その中でソビエト政権承認を求めた。国民の多数だった(人口の8割近い)農民たちは、選挙において左右分裂前のエスエル党(社会革命党)の農業政策を支持した。客観的には貧困から抜け出すことが困難であろう共有地の再分割。本来は後のスターリン政権の強制集団化ではない自主的な共同経営が必要だったのだ。武装したエスエル右派やカデット党とはいずれ決定的な闘争が必然だった。エスエル等の政党活動が禁止されたのは1921年の戦時共産主義と呼ばれる内戦時においてである。
@victoriasiemple 激しく同意。
憲法制定議会は、農民が要求する保守的な農地分割案に便乗した右派エスエルの結果的勝利に終わった。ボリシェビキは、本来あるべき農民と労働者の共同の姿、真の農民の要求を鍛え上げる時間がなかった。結果的に議会解散という帝政ロシアの反動政治が使った同じ手法を使わざるを得ないところに追い込まれた。右派エスエル主導の憲法制定議会は戦争継続を指示していたので、議会解散しか早期戦争終結はできなかった。スピルド―ノワのような爆弾闘争は、幸せをもたらさない。
レーニン一派は結局マルクス主義の本質から異質へと変遷せざるを得なかったと言うより、プロレタリア一党独裁という、非マルクス主義をたんに宗教かさせたに過ぎない。政治的には根拠が伴わない分、マルクスが比定した”民主集中”というボルシェビキ・クーデターの本質を善く表している。ウクライナSL党のことは日本の空想共産主義教のアホ学者が、アメリカ合衆国のプロバガンダにのせられソ連を共産主義国としてしまったことに、後のスターリンが全く異質な共産主義革命を造り買えてしまったことにある。 だから、世界は共産主義自体を宗教化したkレーニンスターリン主義によって、政治理念としての「人民統一戦線としてのパリ・コミューンの理想」はゆがめられていくことになる。その、インターナショナルを解散さたスターリンの魔の手を逃れた「真の社会主義者」達が向かった先こそ、レーニンを産み育てた「アメリカ合衆国民主党」だといえる。 真の社会主義者と、キリスト教右派原理主義者が互いに存在し、その上に跨ぐ世界統一っほにゃにゃら・・・・産軍複合体化したナチスの残党までいる合衆国は、世界一凶暴な国にだ。スターリンの娘をかくまうその国
pinpono843 8 months ago
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KAZUYA19600914 1 month ago
これは今もなお日本の共産党員や民主党員が崇拝するレーニンの実態。
nyankichi1 5 months ago
@nyankichi1 あんたロシア革命史について研究したことがあるの?
kazuonagu 2 weeks ago
悲劇の本質は、ロシア帝政の農奴制度の中にある。これが全ての時代の変化を遅らせ、人間を全ての足かせからの解放を阻害している。革命を悲劇化させた根本がここにある。
victoriasiemple 6 months ago
第2次大戦で召集された兵士の大多数や都市部の工業労働者は、農村出身者が多数だった。彼らは戦争中に厭戦感から武装したまま革命化し、帰国後兵士ソビエトを組織して労働者ソビエトとともに、レーニン率いるボリシェビキの指導下にソビエト(評議会)からメンシェビキや右派エスエルやケレンスキーのトルドビキらの主張を言論の力で粉砕し、革命化したソビエト政権がロシアを先導した。
革命の後退が懸念されるところからケレンスキー政権は1917年3月の2月革命時からの公約であった憲法制定議会を引き延ばし続けたが、11月の10月革命で政権奪取したボリシェビキは、公約を守り、その中でソビエト政権承認を求めた。国民の多数だった(人口の8割近い)農民たちは、選挙において左右分裂前のエスエル党(社会革命党)の農業政策を支持した。客観的には貧困から抜け出すことが困難であろう共有地の再分割。本来は後のスターリン政権の強制集団化ではない自主的な共同経営が必要だったのだ。武装したエスエル右派やカデット党とはいずれ決定的な闘争が必然だった。エスエル等の政党活動が禁止されたのは1921年の戦時共産主義と呼ばれる内戦時においてである。
victoriasiemple 6 months ago
@victoriasiemple 激しく同意。
kazuonagu 2 weeks ago
憲法制定議会は、農民が要求する保守的な農地分割案に便乗した右派エスエルの結果的勝利に終わった。ボリシェビキは、本来あるべき農民と労働者の共同の姿、真の農民の要求を鍛え上げる時間がなかった。結果的に議会解散という帝政ロシアの反動政治が使った同じ手法を使わざるを得ないところに追い込まれた。右派エスエル主導の憲法制定議会は戦争継続を指示していたので、議会解散しか早期戦争終結はできなかった。スピルド―ノワのような爆弾闘争は、幸せをもたらさない。
victoriasiemple 6 months ago
レーニン一派は結局マルクス主義の本質から異質へと変遷せざるを得なかったと言うより、プロレタリア一党独裁という、非マルクス主義をたんに宗教かさせたに過ぎない。政治的には根拠が伴わない分、マルクスが比定した”民主集中”というボルシェビキ・クーデターの本質を善く表している。ウクライナSL党のことは日本の空想共産主義教のアホ学者が、アメリカ合衆国のプロバガンダにのせられソ連を共産主義国としてしまったことに、後のスターリンが全く異質な共産主義革命を造り買えてしまったことにある。 だから、世界は共産主義自体を宗教化したkレーニンスターリン主義によって、政治理念としての「人民統一戦線としてのパリ・コミューンの理想」はゆがめられていくことになる。その、インターナショナルを解散さたスターリンの魔の手を逃れた「真の社会主義者」達が向かった先こそ、レーニンを産み育てた「アメリカ合衆国民主党」だといえる。 真の社会主義者と、キリスト教右派原理主義者が互いに存在し、その上に跨ぐ世界統一っほにゃにゃら・・・・産軍複合体化したナチスの残党までいる合衆国は、世界一凶暴な国にだ。スターリンの娘をかくまうその国
pinpono843 8 months ago